平和ミッションで訪れた際の襲撃前のブッダ・シシュゴール |
襲撃されたブッダ・シシュゴール、一時は皆非難していたが、子供たちも戻り授業が再開されている |
2006年4月3日のマイシュチャリ事件
4月5日「4月3日にマハルチャリ付近で規模の大きい襲撃事件があった」という知らせが入った。2ヶ月前の2月の平和ミッションでこの近くを訪れていた。2003年のマハルチャリ襲撃事件の現場を訪問した後、そこから数キロ離れたガマリダラで、百名近いジュマの人々が道路に溢れ、口々に「軍人たちの支援の中で公然と土地の収奪が行われている」と叫んでいた。
襲撃事件はこのガマリダラから数キロ北に向かったマイシュチャリで起きていた。
マイシュチャリは、私たちがマハルチャリに訪問する際によく訪ずれたブッダ・シシュゴール(仏教子どもの家)という孤児院兼学校がある。以前からベンガル人入植者が周辺の土地の7割を不法占拠していた。事件はこのブッダ・シシュゴールのすぐ目の前で発生した。
事件前日の4月2日午後、ブッダ・シシュゴールの地所内に不法で家を建てて住んでいるベンガル人入植者世帯の女性数名が、隣接するサプルーカルバリ村のマルマ人の土地に新たに家を建てようとして草や木を刈り始めたところ、目撃した数名のマルマ人女性らが止めに入った。しばらく小競り合いの末にベンガル人入植者女性らは家に引き上げていった。
今回最も重症を負った青年 |
翌日3日午前8時頃、再び前日のベンガル人入植者女性数名がマルマ人の土地に入りこみ、石を投げたり罵声を浴びせたりして先住民族の村人を挑発し、昨日と同じマルマ人女性たち数名が棒を持って応戦したところ、予め待ち構えていた25〜30名のベンガル人男性が武器(棒や鉈、鎌などの農具)を持って村になだれ込み襲撃が始まった。
始めに応戦したマルマ人女性たち5名は殴る蹴るの暴行を受けたあと、18歳の女性2名が入植者の住居に連れ込まれ、それぞれ5名の男たちによりレイプされてしまった。その後、近隣の家々やトラックでやってきたベンガル人が次々と加わり、(最終的には100名を超えると言われる)襲撃は周辺の3村へも広がっていった。村人の大半が周辺の村に逃げ去っていき、3時間ほど続いた襲撃は収まっていった。今回もこの騒ぎに乗じて、土地や家畜、家財道具などが奪われている。
一時避難する人々、散り散りに避難する中でバラバラになった家族も多くあったようだ |
2003年8月に数キロはなれたマハルチャリで大規模な襲撃事件が発生した。国際社会の大きな反発にもかかわらず、その後も連続してこの周辺で土地収奪が続いてきた。また、私たちが平和ミッションで訪問の最中も、ここから数キロ離れたガマリダラで、軍人たちに守られながら広大な土地にベンガル人が住居を建てているという事態に遭遇した。そして、このマイシュチャリ襲撃事件である。もちろんこうした事件以外にも、頻繁に軍人よるハラスメントや傷害事件は日常的に続いている。
今回の事件は、これまでの襲撃事件と比較して大きい被害を出したとは言いがたいが、チッタゴン丘陵問題の根幹の部分は何も変わっていないことをまざまざと知らされたものだった。
|