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環境 戦渦のレバノンからのレポート
平和 パレスチナ 栄養失調の子どもたちの支援
土地収奪と襲撃事件の連鎖 チッタゴン丘陵に平和はくるのだろうか
ポップイ村に池を作る
緊急支援

アフガニスタンの現実 終わらない水不足
南部スーダンの緊急援助の現場から
アフガニスタン住宅再建
スリランカ津波被災者支援とパキスタン地震被災者支援

  特集3[環境]:グリーンピース・ジャパン 戦渦のレバノンからのレポート

レバノンでの戦闘が激化した8月上旬、現地で医療活動を行う国境なき医師団(MSF: Medicine Sans Frontier)に対し、医療品など緊急物資の輸送に協力するため、グリーンピースは、キャンペーン船「虹の戦士号」の派遣を申し出、戦渦のレバノンへの物資輸送を行いました。「虹の戦士号」にはグリーンピースのクルーのほかに多くのボランティアが参加しました。 8月2日から10日間、キプロスのラナカ港とレバノンのベイルート港を3往復した「虹の戦士号」は、75トン以上の薬や医療器具などを陸路も空路も封鎖されたレバノンに輸送しました。 「非常に困難な状況下だったが、虹の戦士号の船員と世界から集まったボランティアの人たちは昼夜を通し休むことなく働いた。戦闘で外部から遮断されたレバノンに、人道上、最低限必要な物資を届けることができてよかった。」(グリーンピース・インターナショナルのプログラム部長ブルーノ・リベロ)

レバノン内では約50人の国境なき医師団のスタッフが活動しています。彼らは、レバノンの医療関係者を支援し、必要に応じて緊急医療センターや移動クリニックを設置。そして家を失った人々に生活に必要な最低限の物資(避難所、衛生資材、料理用具、乳幼児用ミルク)を配給しています。

「『虹の戦士号』のグリーンピースのスタッフとボランティアの人たちには大変感謝します。爆撃で道路や空港が破壊されていたために活動に必要な物資の輸送はほとんど不可能でした。船を使えたことでベイルートへの大量の物資輸送が可能になりました。これからはベイルートからレバノン南部へ陸路の物資輸送に挑戦します」(国境なき医師団のジェローム・オベレ業務部長)


グリーンピース・ジャパン紹介

グリーンピースは、1971年の設立以来、グリーン(緑豊か)でピース(平和)な世界を築くため、地球規模の環境破壊を止めることを目的に活動を続けている国際環境保護団体です。オランダに本部を置き、世界41カ国に支部があります。
日本支部であるグリーンピース・ジャパンは1989年に設立され、地球温暖化問題、核・原子力問題、森林問題、海洋生態系問題、遺伝子組み換え問題の解決に取り組んでいます。政府や企業からの資金援助は受けず、環境保護を願う市民の立場からおこなう活動は、世界280万人、日本では5,700人の個人の方からの支援金やご寄付によって支えられています。詳しくは、http://www.greenpeace.or.jpをご参照ください。

グリーンピースの「食にまつわるエピソード」はこちら!

  特集2[平和]:JVC パレスチナ 栄養失調の子どもたちの支援
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占領と破壊の中で生きる

 パレスチナ、と聞いてどんなイメージを抱かれるでしょうか?日本の皆さんには紛争などの印象が強いかもしれません。もちろん困難な現実もありますが、人々は明るく人懐こく、世界有数のおいしいオリーブがとれる豊かな土地です。

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増える栄養失調の子どもたち

 しかしここで起こっている現実はやはり厳しいものです。1967年以降、イスラエルの占領下にあるパレスチナ(ガザ地区、ヨルダン川西岸地区東エルサレム)は、2000年に始まった第2次インティファーダ(民衆蜂起)後、イスラエルの占領政策の強化と紛争の激化し、パレスチナの人々の生活をあらゆる面で圧迫しています。移動が制限され、農地や道路などの生産基盤の破壊が進み、貧困率は40%にも及ぶと言われます 。それに伴い栄養失調や貧血が広がり、特に子どもたちが健康に育っていくことが脅かされています。

私たちJVCは2003年2月から、特に栄養失調の問題が深刻なガザ地区で、幼稚園児に一日1パックの牛乳と栄養強化ビスケットを配給する事業を開始しました。現在約500人の園児を対象にしています。1日1パックの牛乳と高栄養ビスケットで、子どもたちは1日に必要なたんぱく質の30%と、貴重なビタミンや鉄分などのミネラルを補うことができます。支援を行なっている地域では、貧血の子どもの割合が27%から19%に下がってきました。

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牛乳と栄養強化ビスケットを配給
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貧血の子どもの割合が減少

2006年の今、パレスチナはさらなる困難の中にあります。1月のパレスチナ評議員選挙によって公正に選ばれたハマス政権発足に伴い、ハマスを「テロ団体」とみなすイスラエルはパレスチナ自治政府の代理に徴収している関税等の送金を停止、欧米諸国はパレスチナへのの支援を凍結しました。さらに6月末からはガザ地区はイスラエルの軍事侵攻を受け、変電所の破壊などにより電気や水も限られる厳しい生活を人々は強いられています。
JVCは緊急支援として、子どもの栄養改善に取り組むNGO「人間の大地」が運営するセンターで、栄養失調児への栄養食の提供と母親への栄養教育に協力しています。


(JVCパレスチナ現地調整員 藤屋リカ)


JVC(日本国際ボランティアセンター)紹介

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現地の仲間たちと

1980年にに発足し、現在世界11ヶ国で活動している国際協力NGOです。
紛争の混乱にあるイラクやアフガニスタン、パレスチナ等では医療や栄養などの人道支援を、またラオスやカンボジア、ベトナム等の農村では、安心して村で生きていけるための生活改善を支えています。また日本国内では、現場での経験をもとにODAの改革など政策への働きかけにも力を入れています。
足りないものをあげるだけではなく、つくる方法を一緒に考える。「問題の根本に取り組む」それがJVCのポリシーです。http://www.ngo-jvc.net

JVCの「食にまつわる現地レポート」はこちら!

  特集2[平和]:ジュマ・ネット 
土地収奪と襲撃事件の連鎖 チッタゴン丘陵に平和はくるのだろうか
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平和ミッションで訪れた際の襲撃前のブッダ・シシュゴール
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襲撃されたブッダ・シシュゴール、一時は皆非難していたが、子供たちも戻り授業が再開されている
2006年4月3日のマイシュチャリ事件

4月5日「4月3日にマハルチャリ付近で規模の大きい襲撃事件があった」という知らせが入った。2ヶ月前の2月の平和ミッションでこの近くを訪れていた。2003年のマハルチャリ襲撃事件の現場を訪問した後、そこから数キロ離れたガマリダラで、百名近いジュマの人々が道路に溢れ、口々に「軍人たちの支援の中で公然と土地の収奪が行われている」と叫んでいた。
襲撃事件はこのガマリダラから数キロ北に向かったマイシュチャリで起きていた。
マイシュチャリは、私たちがマハルチャリに訪問する際によく訪ずれたブッダ・シシュゴール(仏教子どもの家)という孤児院兼学校がある。以前からベンガル人入植者が周辺の土地の7割を不法占拠していた。事件はこのブッダ・シシュゴールのすぐ目の前で発生した。

事件前日の4月2日午後、ブッダ・シシュゴールの地所内に不法で家を建てて住んでいるベンガル人入植者世帯の女性数名が、隣接するサプルーカルバリ村のマルマ人の土地に新たに家を建てようとして草や木を刈り始めたところ、目撃した数名のマルマ人女性らが止めに入った。しばらく小競り合いの末にベンガル人入植者女性らは家に引き上げていった。

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今回最も重症を負った青年

翌日3日午前8時頃、再び前日のベンガル人入植者女性数名がマルマ人の土地に入りこみ、石を投げたり罵声を浴びせたりして先住民族の村人を挑発し、昨日と同じマルマ人女性たち数名が棒を持って応戦したところ、予め待ち構えていた25〜30名のベンガル人男性が武器(棒や鉈、鎌などの農具)を持って村になだれ込み襲撃が始まった。
始めに応戦したマルマ人女性たち5名は殴る蹴るの暴行を受けたあと、18歳の女性2名が入植者の住居に連れ込まれ、それぞれ5名の男たちによりレイプされてしまった。その後、近隣の家々やトラックでやってきたベンガル人が次々と加わり、(最終的には100名を超えると言われる)襲撃は周辺の3村へも広がっていった。村人の大半が周辺の村に逃げ去っていき、3時間ほど続いた襲撃は収まっていった。今回もこの騒ぎに乗じて、土地や家畜、家財道具などが奪われている。

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一時避難する人々、散り散りに避難する中でバラバラになった家族も多くあったようだ

2003年8月に数キロはなれたマハルチャリで大規模な襲撃事件が発生した。国際社会の大きな反発にもかかわらず、その後も連続してこの周辺で土地収奪が続いてきた。また、私たちが平和ミッションで訪問の最中も、ここから数キロ離れたガマリダラで、軍人たちに守られながら広大な土地にベンガル人が住居を建てているという事態に遭遇した。そして、このマイシュチャリ襲撃事件である。もちろんこうした事件以外にも、頻繁に軍人よるハラスメントや傷害事件は日常的に続いている。
今回の事件は、これまでの襲撃事件と比較して大きい被害を出したとは言いがたいが、チッタゴン丘陵問題の根幹の部分は何も変わっていないことをまざまざと知らされたものだった。


ジュマ・ネット紹介

ジュマ・ネットはバングラデシュ、チッタゴン丘陵地帯の紛争解決と平和構築を目指して2003年に設立された。先住民族の人々が平和な社会に暮らし、基本的な人権が守られ、開発の恩恵を十分受けられるようになることを目指し、平和ミッションの派遣、調査活動などによる現場に根ざした政策提言と日本の政府関係者との懇談会や襲撃事件が起こった際の緊急支援や復興支援事業を行なっている。
国内では、在日ジュマ人への支援、ジュマの正月を祝う「ボイサビ祭り」、平和学習ワークショップ開発、交流事業などを行なっている。http://jumma.sytes.net/



  特集2[平和]:カンボジア地雷撤去キャンペーン ボップイ村に池を造る

2004年8月17日 (火)

CMC支援による池建設が始まった。 CMC ボップイ安倍小学校敷地内、新校舎からは100mほど離れた場所に、 横20m×縦30m×深さ3mの池を掘る。掘られていくその池の周りを数十人の村人ギャラリーが取り囲んでいた。ボップイ村64家族、合計約350人が生活用水としてこの池を利用することになる。

2ヶ月前まで地雷が埋まっていた場所も今は安心して掘ることができる。掘り出した土は学校の校庭整備に使う。

3日後、完成した池には雨水が少し溜まり始めていた 1週間前に地雷撤去された池の周り黄色い棒はそこに地雷が埋まっていたというサイン (民家から10m離れた池で)
ボップイ村には他にも小さな池が数カ所あるが、C-MAGが地雷撤去作業を行った安全エリアの外側、つまり地雷未撤去地にある。しかし人々は、そこが危険と知りながらも水を汲むため池へ入る。日本でもカンボジアでも、水は生活の柱である。地中に埋まり目に見えない地雷よりも、人は毎日の生活を優先するのだ。 今回建設された池の場所から、2ヵ月前C-MAGは8個の地雷を撤去した。地雷撤去後の土地に建設された今回の池は、人々が安心して生活用水を受給できる数少ない場所となる。

 




 

 

 




カンボジア地雷撤去キャンペーン紹介

■国内活動
1.講演会
2.学校での授業(小学校〜大学までの総合学習・平和教育・国際理解等の教授)
3.地雷写真展/地雷風刺画展
4.街頭募金活動
5.各種チャリティイベント(コンサート・チャリティ野球 他)
6.カンボジアスタディツアーの募集
7.出 版
8.カンボジア芸術の公演や支援

■海外活動
1.カンボジア現地視察
2.地雷撤去活動支援(現地でのMAG支援)
3.地雷被害者救済  (義足・薬品などの支援、現地エマージェンシーホスピタル等支援)
4.地雷撤去後の土地活用支援(クバルムース村への農業支援)
5.教育支援 (地雷原ボップイ村での学校建設運営、モンドルバイ希望小学校支援)
6.ラジオ放送「VOICE OF HEART」を通しての地雷被害者のメンタルサポート

http://cmc-net.jp/


  特集1[緊急支援]:ピースウィンズ・ジャパン アフガニスタンの現実 終わらない水不足
ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)アフガニスタン事務所 平井礼子

乾いて白茶けた丘がどこまでも続く。草も木もなく、照り返しが容赦なく目を刺す。一歩ごとに体の水分が奪われ、土ぼこりでのどがガラガラになる。7月20日、私(平井)と同僚の児島淳は、アフガニスタン・サリプル州のハルダール村から水源までの水くみに同行した。そこで見たのは、少年たちの肩にのしかかるアフガニスタンの水不足の現実だった。

 午前9時45分、ロバに乗った少年6人に大人が付き添い、約8キロ離れたボガビ村へ向け出発した。大人が同行するのは、臓器目的の誘拐の噂があるからだという。ロバの背には約40リットル入るブリキ缶が2個。計80リットルの水が、1家族10人前後の1日を支える。
  ハルダール村の周辺には川や井戸がなく、雨期の間に貯めた水が枯れる夏場は、毎日の生活用水を遠くの水源に頼るしかない。少年たちが水くみに行くのは、彼らにはまだ畑仕事ができないからだ。
  しばらく行くと、遠くボガビ村の緑が見え始めた。少年たちは自作の歌を歌いながらロバを操る。「水くみが嫌になることは?」と聞くと、10歳のアブドゥル・アジズは一瞬真顔になって言った。「必要なことだから、嫌だなんて考えてられない」。


  正午すぎ、気温42度。暑さで頭が痛い。ようやく川辺の泉に着いた。しかし、2時間半かけて目指した水源は、直径50cnほどのくぼみに細々と水が湧いているだけだった。少年たちは休む間もなくロバに水をやり、付き添いの大人がバケツでせっせと水を缶に入れる。
  私たちはここで別れた。少年たちは今度はロバを引き、淡々と歩いていく。往路は下り坂だったが、帰りは上り。ハルダール村まで3〜4時間はかかるだろう。「えらいなあ」。背中を見送りながらそう思った。
  炎天下の水くみは、次の雨期が訪れる11月ごろまで休みなく続く。


ピース ウィンズ・ジャパン紹介

特定非営利活動法人ピース ウィンズ・ジャパン(PWJ)は、紛争や貧困などの脅威にさらされている人びとに対して支援活動を行うNGOです。日本に本部を置き、「必要な人びとに必要な支援を」「支援のプロを、世界の現場へ」をモットーに世界各地で活動しています。PWJの支援活動には、緊急時に生命の安全と生活の基本を支える緊急人道支援、荒廃からの復興および人びとの自立を目指す復興・開発支援、国内災害対策、フェアトレードなどがあります。

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  特集1[緊急支援]:ワールド・ビジョン・ジャパン 南部スーダン緊急援助の現場から
何もない焼け跡に戻ってきた女性
何もない焼け跡に戻ってきた女性
南部スーダン、アッパーナイル州の州都マラカルは、ナイル川沿いにある交通の要衝です。故郷に帰ろうとする難民たちの玄関口でもある港には、ボートがずらりと並び、市場で売る果物、わらで編んだゴザや木を運び込んでいます。20年以上の内戦を経たスーダンでは昨年1月に和平合意が結ばれ、国内370万人、国外35万人ともいわれる人々の一部が帰還を始めました。 しかし、故郷を目指す人々を待っているのは戦争ですべてを破壊された村の残骸です。
飲み水はナイル川から汲んでく 飲み水はナイル川から汲んでくる。水汲みは女性や子どもたちの仕事で、乾季には片道45分ほと歩いて汲みに行

ボートでナイル川の上流に向かうこと45分、ワールド・ビジョン・ジャパンが支援を開始したシルック族の村が見えて来ます。村が突然の焼き討ちにあったのは、ほんの2年前のこと。武装勢力は茅葺の家やNGOが建てた学校やクリニックをことごとく焼き、12万から15万人ともいわれる人々が故郷を追われ、難民となりました。和平合意から一年たった今、川沿いには子どもたちの笑い声や女性たちの歌声が戻ってきました。しかし、ほとんどの人が今でも森には近寄らないそうです。暴力や誘拐の暗い記憶が人々の心に戦争の傷跡となって残っているのです。

戦争で多くの学校や破壊された結果、ほとんどの子どもたちが木の下に集まって学んでいる 戦争で多くの学校や破壊された結果、ほとんどの子どもたちが木の下に集まって学んでいる

一方で、日々の食糧さえままならない中、何が一番必要かと聞くと男性も女性も「子どもたちのための学校」と答えます。子どもたちに国の将来を託して希望の光をしっかりと見据えているようにも見えます。

ワールド・ビジョン・ジャパンは、現在帰還しているスーダン難民も避難していたケニアのカクマ難民キャンプに、2000年から日本人を派遣して支援を行いました。今回の南部スーダン支援により、避難民に対する継続的支援を目指し、水・保健衛生、教育、プロテクションの3分野で事業を実施します。帰還するシルック族の人々から、力では負けて逃げなければならなかったとしても、最後まで残るのは希望だということを日々教えられながら、現場での事業調整に取り組んでいます。


(ワールド・ビジョン・ジャパン 横山 理子)


ワールド・ビジョン・ジャパン紹介

子どもたちと横山駐在員
子どもたちと横山駐在員

ワールド・ビジョンは、子ども支援を中心とした地域開発、緊急援助、アドボカシーなどの活動を行っている、キリスト教精神に基づく国際NGOです。文化、宗教を超えて、寄付者、受益者、スタッフ、協力機関の全てをパートナーとし、世界約100カ国で活動しています。日本では、1987年、独自の理事会を持つ支援国事務所としてワールド・ビジョン・ジャパンが設立され、世界各国のワールド・ビジョン事務所と連携して活動を展開しています。 http://www.worldvision.jp/

ワールド・ビジョン・ジャパンからの「食にまつわる現地レポート」はこちら!

  特集1[緊急支援]:JEN アフガニスタン住宅再建

新しい家の前に立つ家族
アフガニスタンは、20年以上に渡る戦闘と近年の記録的な干ばつにより、国土は疲弊し、大量に発生した難民・国内避難民は、厳しい環境の中での苦しい避難生活を強いられていました。しかし、2001年12月の暫定政権樹立以降、ようやく故郷への帰還が始まりました。


住宅再建レンガを作る

住民建設中

JENは難民の人々が故郷で安心して暮せるように、住宅再建、学校建設、井戸掘削など総合的な支援活動を実施しています。

JENはこれまでに、約1,000世帯のために住宅を再建してきました。建設会社が住宅を建設するのではなく、JENが建材の一部を住民に提供し、建設の技術指導を行います。日干し煉瓦など自ら調達できる建材は住民が負担し、住民自ら建設を行うことで、彼らの自助努力を最大限に引き出すよう配慮しています。
アフガニスタンの住宅は、外から見ると土壁で平屋のため、土でできたかまくらのような印象に近いと言っていいでしょう。そのかまくらの中の暮らしぶりは?と覗いて見ると、意外や意外、なかなか華やかさと温かさがあります。部屋には火鉢のコタツがあり、その周りで家族が団欒をしています。

家の中

住宅再建というと、これまでどうしても男性が中心となって建設を行うため、男性的な事業というイメージしかありませんでした。しかし、地域の女性と話す機会が増えてくると、「男はどこでも寝泊りすることができる。だけど、女性や子どもたちはそういうわけにはいかないの。家を持つというのは、女性や子どもたちが安心して寝泊りできる場所ができるということ。だから、住宅再建は女性にとってとても大切なの。」と、よく耳にします。

アフガニスタンの女性たちの細やかな心遣いが、色とりどりの新しい生活と温かみを家族にもたらしているのです。


JEN紹介

JENとは平和な国際社会作りを目指し、世界各地で紛争や自然災害などにより厳しい状況にある人々は、『心のケアと自立の支援』をモットーにきめ細やかな支援活動を行う国際協力NGOです。
2004年10月まで10年間旧ユーゴスラビアで、現在はアフガニスタン、エリトリア、イラク、新潟、スリランカ、パキスタン、レバノンで緊急から復興まで多岐に渡る支援活動を実施中。 http://www.jen-npo.org/

JENからの「食にまつわる現地レポート」はこちら!



  特集1[緊急支援]:特定非営利活動法人 難民を助ける会
スリランカにおける津波被災者支援とパキスタン地震被災者支援

特定非営利活動法人 難民を助ける会 紺野誠二


パキスタン 被災した元小学校

スリランカとパキスタン。同じ南アジアに位置する両国。両国での緊急援助に従事して感じたことは似ている部分がかなりあるなぁ、ということであった。まず、何よりも感じたのが人々の優しさというか、もてなしというかそういう心である。パキスタンで緊急援助を実施した際に、被災者の方から「せっかく遠いところから来たのだから、食事でもしていったら、お茶でも飲んでいったらどうだ。」といわれた時にはびっくりした。そもそも被災者である人が、遠来の客をもてなすのだから。それに、地震が発生した2005年の10月は、イスラム教の断食の時期だったのである。また、スリランカで支援物資がきちんと活用されているかどうかを確認しに行った時にも同じように声をかけてもらった。


スリランカ 配布の様子


スリランカ 被災した子どもが描いた絵

次に、人々が支援物資を大切に使ってくれていたこと、そして、日本の人たちにしきりに感謝していると話をしてくれたことである。スリランカでは台所用品を中心に生活用品を、パキスタンでは食糧、生活雑貨、プラスチックシートなどいろいろ配布したが、大切に使ってくださっていた。「遠い日本の人たちが助けてくれて、本当にありがたかった。」との声が聞かれた。


パキスタン 支援物資を受け取る女性

そして、クリケットをする男の子たちの姿である。被災してしばらくたって、子どもたちがクリケットをすることが両国で見られた。見ていて「いいなぁ、少しづつでもいいから、心の安定を取り戻して欲しいな」と思った。「将来は国を代表する選手が被災地から出て人々を励まして欲しいな」、そう思った。

まあ、被災した人々のお役に立てたのではないかと思っているけれど、思いおこしてみると助けに行ったのか、助けられたのか、なんだかよくわからない。ただ、私は被災した人々に何か大切な事を教えてもらったような気がしている。


難民を助ける会紹介 

難民を助ける会は1979年、当時大量に流出したインドシナ難民を支援するために、政治・思想・宗教に中立な立場で設立されました。現在ではアジア・アフリカの10カ国で緊急支援、障害者自立支援、地雷対策の3つの柱に重点を置き、マラリア・エイズ対策支援も含めた活動に取り組んでいます。国内ではチャリティコンサートの開催、資料・パネル等の貸し出し、講演、絵本『地雷ではなく花をください』などのチャリティグッズの販売を行っています。難民を助ける会は認定NPO法人ですので、当会へのご寄付は税金控除の対象になります。 http://www.aarjapan.gr.jp/

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