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宮古島「慰安婦」のための祈念碑除幕式


 皆様の御支援で、宮古島の祈念碑がついに完成、9月7日に除幕式がおこなわれました。除幕式には、韓国から尹貞玉先生、被害者の朴順姫さん、挺対協の尹美香さん、金富子さん、洪ユンシンさん(日本在住)などが参加しました。快晴にめぐまれ、美しい桔梗などの花にかこまれた、楽しい除幕式になりました。宮古島の実行委員会の方々の大奮闘のたまものでした。宮古島市の市長さんも参加、また、戦争中朝鮮半島から連行されてきた女性たちを「見ていた」野原(のばる)の女性たちも参加して、当時覚えたアリランを歌いました。

 除幕式には宮古高校のブラスバンド(全員女子高校生)のアリラン演奏もあって素晴らしいものでした。出席した人々は、無念の思いで亡くなった女性たち、また今も苦渋の思いを抱いて暮らしている女性たちを思い、涙をおさえることが出来ませんでした。ことに、今回初めて海外で証言をなさった、朴順姫さんは、碑をいとしそうに撫でていらっしゃったのが涙を誘いました。碑念碑には「女たちへ」と刻まれています。次のような碑文が日本語と朝鮮語で刻まれています。

 「アジア太平洋戦争期、日本軍はアジア太平洋全域に「慰安所」を作りました。沖縄には130カ所、宮古島には少なくとも植民地・占領地から連行された少女・女性が性奴隷として生活することを強いられました。
 2006年から2007年にかけて「慰安婦」を記憶していた島人と韓国・日本の研究者との出会いから碑を建立する運動が始まり、世界各地からの賛同が寄せられました。
 日本軍によって被害を受けた女性の故郷11の言語と、今も続く女性への戦時性暴力の象徴として、ベトナム戦争時に韓国軍による被害を受けたベトナム女性のためにベトナム語を加え、12の言語で追悼の碑文を刻みます。



 故郷を遠く離れて無念の死をとげた女性たちを悼み、戦後も苦難の人生を生きる女性たちと連帯し、彼女たちの記憶を心に刻み、次の世代に託します。

 この想いが豊かな川となり、平和が春の陽のように暖かく満ちることを希求します。この碑をすべての女たちへ、そして平和を愛する人々に捧げます。



 そして、碑の両側には、英語、中国語、チャモロ語、インドネシア・マレー語、日本語、韓国語、ミャンマー語、オランダ語、タイ語、タガログ語、テトゥン語(東チモール)、ベトナム語で「日本軍による性暴力の被害を受けた一人ひとりの苦しみを記憶し、全世界の戦時性暴力の被害者を悼み、二度と戦争のない平和な世界を祈ります。」と刻みました。

 碑の建設にともなって、この三基の碑の前方に、石灰岩の大きな岩が置かれていますが、それは「アリランの碑」と名付けられています。その岩の前で「慰安婦」の女性たちが腰を下ろして休んでいたそうです。その碑には「アジア太平洋戦争当時、この近くに日本軍の慰安所があった。朝鮮から連れてこられた女性たちがツガカーにて洗濯の帰りにここに休んでいたことを記憶している。悲惨な戦争を二度と起こさぬためこの碑を後世に伝えたい。」と刻まれています。

 最後に、この碑の建設活動の中心となった韓国留学生の洪ユンシンさんは、韓国政府に登録された日本軍「慰安婦」215人の名簿、申告当時の聞き取りを精査し、ついに宮古島に強制動員されていた朴ゼナムさんを発見しました。当時、朴ゼナムさんは病院に入院していらっしゃいましたが、6月にぜひ碑を完成させるようにとメッセージと賛同金を寄せてくださいました。しかし、碑の完成を見ることなく、8月に亡くなりました。心から安らかな旅立ちであったことを祈ります。

 2008年度中に、宮古島の調査報告書、「慰安婦」を「見ていた人々」の聞き取り、を出版します。いつか、沖縄の宮古島にある「慰安婦」のための碑「女たちへ」を尋ねてください。

   

朴 順姫ハルモニの証言

 ハルモニは16歳の時、元山(現在北朝鮮)から連行され、6年間にわたって中国で性奴隷を強いられました。抵抗した時の傷跡が今も残っています。自分のところに多くの日本軍人が並んだということや、当時のつらい思い出を語る時、涙ぐみ、あるいは胸を抑え、休憩するなど、今もなお、トラウマが消えず、その苦痛の深さを感じざるを得ません。かなりの監禁状態で、外に出たのは性病検査のみであったといいます。戦後帰国する時混んでいた列車に押し上げられて乗ろうとすると、そこに家で一番美しかった妹がおり、妹までも―と非常にショックを受けたそうです。帰宅すると父親が衝撃の余り亡くなったといいます。家は旅館で貧しくなかったと語りました。

 その後ユン・ミヒャン挺対協事務局長から、234名の申し出のあった被害女性のうち、現在の生存者が98名となったこと。92年1月8日から始められた水曜デモが阪神大震災を除いて続けられ現在828回となったことなど、闘いが続いているとの報告がありました。

 ユン・ジョンオクさんからは、以下のような発言がありました。
 日本がいまだ事実認定も謝罪も、補償もせず、自分が望んできたのは遠い道のりかもしれないと思えてきた。最も苦しんだのは「アジア女性基金」の問題で、事実をうやむやにし、免罪符としてしまうことに怒りを感じた。
 今までの歴史・植民地時代のもっとも暗い時代に最も苦しめられたハルモニは歴史の主人公であると思っている。このハルモニを無視したのが国民基金であると批判された。

                     

記念碑の除幕式で行われたあいさつ

高里鈴代さん:歴史から消そうとされている中で、建立の意味は大きい。この思いを引き継ぐことが重要。

中原道子さん:被害者に優しかったこの島に碑が建てられたことがうれしい。

ユン・ジョンオクさん:日本軍により耐えきれないほどの苦痛を味わった女性たちを心から悼み、彼女たちがこの碑を見たとき少しでも心が安らぐことを願う。

与那覇博敏さん:歴史的事実を認め、若い人に伝える碑を建てたかった。この場所で、彼女たちが洗たくの帰りに休んでいたことを覚えている。

伊志峰亨さん(市長):日本人・全人類が心に刻みつける大きな機会となる。人類の平和の実現のために発信地となりたい。

友利恵勇さん:「慰安婦」とされた人たちの魂に手を触れることができた。この心の波が世界に広がるように。

ユン・ミヒャン挺対協代表:このような美しいプレゼントはこれまでに初めて。若い高校生のみなさん。堂々と証言した宮古のおじいさんやおばあさんがいたことを自慢して伝えてください。


 最後に朴順姫ハルモニが「アリラン」を独唱し感謝の意を表した。それからみんなで歌い、碑の周りに植えるキキョウを献花して終わりました。



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