【インタビュー】

 

岡本太郎と「殺すな」

岡 本 敏 子

(岡本太郎記念館館長)

 

聞き手・水口義朗  まとめ・吉川勇一     於東京・青山、岡本太郎記念館

 

 

 岡本太郎における戦争と平和

 

――戦争自体について、岡本太郎さんは直接にはどういう姿勢だったのでしょう。

岡本敏子 それはもう、はっきりしてましたよ、「殺すな」ですから。でも、政治的立場からというのではなくて、人間として怒っていたのですね。例えば、『眼 美しく怒れ』という本(チクマ秀版社、98年刊)では、六五年八月の佐藤栄作首相の沖縄訪問について、佐藤氏が県民のデモに囲まれて米軍基地に逃げ込んだことをとても強く批判しています。「たかが一夜の安眠ぐらい、どうでもいいではないか。本当の人間的な肉体と精神のぶつかりあいを、さけてしまうのが官僚政治のきたなさなのだ。……その程度の勇気と情熱さえもたない者に、一国のリーダーの資格はない」って書いてます。しかも「翌日、ワトソン高等弁務官に『……おかげで静かな環境で安眠(沖縄全島が安眠できなかったこの夜に!)の時間を与えられたことを感謝している。この旨を米本国政府に伝えて下さい』とのべた、なんて、まことに珍無類。悲しいことがらだが、抱腹絶倒してしまうのだ」と怒ってます。

――太郎さんは両親の岡本一平・かの子夫妻がロンドン軍縮会議に行かれる際にパリまで同行され、そこに滞在されることになるわけですが、一九四〇年、ドイツ軍に占領される直前にパリを脱出して最後の引揚げ船「白山丸」で帰国されますね。そして四二年に、なんと三一歳で現役初年兵として中国戦線へ送られたそうですね。

岡本 そのころ、徴兵検査は二〇歳でしたが、早く志願すれば優遇されるというので、一八、一九歳で徴兵検査を受ける青年が多かったのです。その中で岡本一人が三一歳でしょ。パリにいたから、ずっと徴兵検査の手続きが延期されていたんです。本人は当然不合格になると思ってたら、なんと甲種合格になっちゃって、中国戦線へ送られるんです。そして四年間の従軍、最後は、日本敗戦で捕虜収容所です。

 太郎さんは運転ができたから、自動車隊――輜重兵(しちょうへい)にされ、道のないところをトラックを分解して肩に担いで運ぶなど、苦労したようですよ。

――そういう戦争体験のことを太郎さんはあまり書いていないんじゃないですか。

岡本 過去を振り返るというより、未来を語ることが好きな人でしたからね。頼まれない限りは書きませんでした。でも、いくつかの文はあります。『疾走する自画像』(みすず書房、01年刊)には、「わが二等兵物語」など、三編の戦争体験の文が載っています。いいものですよ。

 それを見ると、ずいぶん、いじめられたようです。滝口修造でさえ捕まった時代でしょ。パリ帰りのアヴァンギャルド、自由主義者なんて、精神を叩きなおしてやるッというわけですね。現地での初年兵教育で受けた拷問のような扱いや、空襲とゲリラの攻撃にさらされたときのことを、太郎さんは「血と泥にまみれたいちばん辛かった数年間だった」と書いてます。でもユーモアも含んだ文章です。

――戦地や捕虜生活中でも、岡本さんは絵も描いていたのですね。たまたま見た「TV鑑定団」の番組に、岡本さんが戦地で若い兵隊を描いたすばらしいデッサンが出ていました。たしか五百万とかいう、凄い値がついたように思いますが……。

岡本 その絵は、放送直後、持ち主から贈られたんですよ。現地でスケッチブックにいろいろ描いていた絵も、引揚げの時には持って帰れないので、一枚一枚破いて、仲間の兵隊に配ったんですね。その一人が、四つに折って抱いて隠して持ち帰ってくれたのです。よくぞ持って帰ってくださった、とその人を拝んじゃいました。鎌倉に住む絵心のある方なのですが、そんなに喜ばれるのなら差し上げますって、その場で下さったのです。しばらく、この記念館にも飾ったのですが、その方は、戦友を大勢引き連れて見に来てくださいました。それはそれはいい絵なんです。デッサンの勉強もずいぶんしたはずですが、太郎さんのあんな写実的な絵は、それまで一度も見たことはありませんでした。

 

  「血のメーデー事件」にも参加

 

――戦後の反戦運動とのかかわりはどうだったのでしょう。

岡本 いわゆる政治的な動きは嫌いでしたね。署名も誘われれば加わりましたけど、こいつ、署名にだけはよく出てくるが、ふだんは何してんだろ?なんてことも言ってましたよ。でも、六〇年安保のときですか、品川駅での座り込みなんかには、誰から誘われたのでもなく、「一人の人間としてやることをやるんだ」と言って自分から出かけていって参加してました。私も行きましたけど、美術家の集団とかの中じゃなく、無名の一市民として座ったんですね。それは彼の性格、生き方の哲学からなんです。付和雷同みたいなのは嫌いで、ま、孤独なんです。

あなたがた、この絵、ご記憶ある? 皇居前でのデモ隊と機動隊の激突の絵なんですよ。

――五二年の「血のメーデー」事件ですね。「青空」という題で54年作とありますが、岡本さん、あのメーデー事件に行ったんですか。

岡本 そう、行ったのよ。凄いでしょ。このトゲトゲはみんな機動隊の暴力を表してるんです。こっちが民衆です。へし折られている赤旗の竿も描かれているし、警棒もあるでしょ。その激突の上に青空が広がり、それがタイトルにされてるんです。

――メーデーに参加したというのは、一人で皇居前へ出かけて行ったんですか。

岡本 もちろん、誘われたんじゃなくて、一人で出かけていったんです。参加をして、見るべきものを見て、それが自分の中に沈潜して発酵してから描くんですね。だから54年作。

――それは知りませんでしたね。そういう話を聞かないとなかなかわかりにくいんですが、太郎さんは自分の絵を説明はしないんですか。

岡本 しないんですね。この第五福竜丸の絵だって、ほら、ここにマグロが描かれているでしょ。

――知らなかったな。私たち、よく見てないんですね。

岡本 第五福竜丸の乗組員の人たちに聞くと、第五福竜丸の悲劇を絵に描いた人はほとんどいないそうです。岡本さんだけはちゃんと描いてるんですね、と言ってました。

――それは、なんという画集に出ているんですか。

テキスト ボックス: 岡本太郎「青空」一九五四年
岡本 平凡社から出た画集なんですが、今では入手困難ですね。

 

6743日、米『ワシントン
ポスト』紙に掲載された
ベ平連のベトナム反戦意見広告

 

                             

 今に生きる「殺すな」の文字
 

――「殺すな」という文字は、あれはベ平連運動の中のことですよね。

岡本 そうです。鶴見俊輔さんなどとご一緒でしたね。

――「爆発!」とか「危険な道を歩め」とか、いろいろ有名になった言葉はありますが、「殺すな」の根底にあるものはなんでしょう。

岡本 自分については、最悪の場所に追い込んで、窮地に立たせることをやる、たとえば、スキーで滑り出すときも「死んでやるッ!」って怒鳴るんですよ。危険な場に立つ、というのが太郎さんの生きがいだったのね。万博

のときでも、みんな反対。やめてくれ、やめ

ろと言われたんですが、引き受けちゃうんですね。

――ベ平連の「殺すな」意見広告は六七年で

すが、七〇年万博のときの岡本さんはベ平連

の中でも評判はよくありませんでしたよ。ベ平連は「反博」をやったんですから。

岡本 ベ平連だけじゃなかった。みんな反対でした。ですけど、そんなにみんな反対なら、引き受けてやろうじゃないか、となっちゃうんですね。「ハンパクだって? 一番のハンパクは太陽の塔なんだぞ」とも言ってました。

でもそれは自分のこと。ひとについては、「殺すな」なんです。あの意見広告の字はよかったですね。それが、今、まだ生きてるというか、イラク戦争の中で生き返っているんです。小田マサノリさんや椹木野衣さんたちの「殺すな・デモ」もそれですね。ホームページに載せただけで、三百何十人も集まった。

――その人たちは、とても若い世代で、岡本太郎の時代をまったく知らない人たちですよね。それが隔世遺伝のように、なんで岡本太郎の「殺すな」と結びつくんでしょう。

岡本 もちろん、知らないんです。ベ平連のことや意見広告の文字だなんてことも知らなかったんです。でも「殺すな」っていう字をみたとたん、ピンと自分でストレートに感じるんですね。それが今、岡本太郎ブームなんて言われてる現象の正体なんです。彼らは、自分でそれを発見し、しかもそれが自分に対して言われているメッセージだと受け止めているんです。

――この記念館を訪ねる人も若い人が圧倒的に多い。しかも先生が連れて集団で来てるなんていうのじゃない。一人できたり、カップルで来たりという人たちが多い。

岡本 それに、何度も何度も来るんですね。

――普通、人間の持ってる魅力っていうのは、時間とともに摩滅するんですが、岡本さんのは摩滅していないから、岡本さんの無邪気の中の成熟のような人間的アピールが共感を呼んでるんですね。今日は、お忙しいところをどうもありがとうございました。

(二〇〇四年九月一〇日)

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編集部注】 岡本太郎記念館は、一九九六年、八四歳で亡くなるまで、岡本太郎のアトリエ兼住居だった。現在の記念館(坂倉準三の設計)には岡本太郎の絵画、彫刻などが多数展示されており、著書、参考文献、CD、関連資料、Tシャツ、それに「殺すなバッジ」やシールなどの各種グッズも販売されている。今年の八月三〇日には、入館者が一五万人に達した。〒107-0062 東京都港区南青山六―一―一九 電話〇三・三四〇六・〇八〇一 地下鉄銀座線・千代田線・半蔵門線「表参道」駅より徒歩分。開館時間は10時〜18(入館は17時半まで) 休館日は火曜日(祝日の場合は開館)。観覧料は一般六〇〇円、小学生は三〇〇円。106日(水)から1227日(月)までは「憂愁」展が開催され、初期の22歳の作品も展示される。ホームページは

http://www.taro-okamoto.or.jp/

(『市民の意見30の会・東京ニュース』No.86 に掲載)

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