(ニュース64号 2001/02/01)
加藤紘一の問題は人間の生き方の問題です。自己決定、自己責任の問題です。自民党の長老たちにつぶされて、あるいは自分の派閥の仲間に裏切られて終わってしまうという、見るも無残な形になった。普段はいいことをいっているけれど、どんづまりになると僕やめた、と言って逃げるのは一番良くないことです。彼らは戦略とか戦術とか、という言葉を使って、最後に遁走した訳ですが、加藤は、大衆の思い、大衆の精神的高揚を理解できなかったのですね。だから結局、政治家として能力がなかったのです。大衆感覚のないエリートとして養成されてきて、自分の言動に責任を持てなくなって、最後に放り出してしまう。この人が次期総理というかたちで期待されていたのですね。
六〇年代から三〇数年間日本がやってきたこと、男たちのいい加減さ無責任さが、あのときの彼の行動に現れている。運動を考える時に、ああいう風な結果が一番いけないのだと思います。
僕は最近大杉栄のことを読んだり書いたりしています。宣伝ではないのですが、一月に彼のエッセイ「大杉栄語録」(岩波現代文庫)を発行します。
彼の躍動する精神をこの本の中に投げ込みたいという思いでやりました。どういうことかと言うと、加藤の中に現れた自己決定もない自主も自律もない自民党二世議員たちの対極の存在として大杉栄があると考えているからです。
そもそも彼がデビューしたのが大逆事件があった後からです。幸徳秋水らが絞首刑に処せられた後に、大杉栄は、
春三月縊り残され花に舞ふ
という俳句というのでしょうか、を残しています。絞首刑を免れた、あとは豪快に生きよう、という句です。大逆事件の直後、石川啄木がいみじくも時代閉塞の現状と言った時代状況の中から、大杉は何かやろうと、まず「近代思想」を荒畑寒村と始めた。時代閉塞だから手をこまねいて何もしない、というのではなかった。大杉栄が二六歳ぐらいの時です。
死を覚悟して運動を始め、丁度関東大震災のあと、伊藤野枝と六歳の少年と三人いっしょに虐殺されました。
彼の文章はなかなか躍動しています。例えば、運動についてこういう風に言っています。「理想が運動の前方にあるのではない、運動そのものの中にあるのだ。運動そのものの中にその形を刻んで行くのだ。」
これは、僕も含めて、運動の理想が前方にあったのですが、理想のために現実をごまかしていくという、ともかく理想が輝かしいものであれば手段がどんなに間違っていてもいいというそういう運動であった。まあ、内ゲバなどは最たるもので、それなりに理想があるのでしょうけれど、やっていることは殺し合いでしかないという悲惨な状況です。それは日本の状況ばかりでなくて、一九一七年の革命以降、世界で起こってきたことなのです。
大杉栄は、初めはロシア革命を支持してましたけれど、アナキストからの情報がどんどん入ってきて、ロシア革命の中でアナキスト達がどういう風に弾圧されていたかを知って、それで批判的になっていったのです。そういう意味で、運動というのは、理想が前方にあるのでなく、やっていく中にこそ理想があるのだという運動論ですけれど、もう一度今までの運動の総括として考えていく必要があるのではないでしょうか。
それから、彼はいくつもの名言を残しています。瀬戸内寂聴さんの本の題名でも有名な「美はただ乱調にあり、階調は偽りである」があります。美はきちんとした中にあるのではなく、躍動している中に存在している、カオスの中にある、という主張です。彼は「真はただ乱調にある」とも書いている。真実というのは混乱の中から現れるといっている。あるいは、「今や生の拡充はただ反逆によってのみ達せられる」。彼が言っているのは生の拡充ということです。これは、ベルクソンの影響が強いのですけれど、大杉は反逆すなわち人生の拡充ということを常に主張していました。だから、運動というのは、やっている人間の生の拡充であるし、運動の中にこそ自由がある、ということです。
あるいは、「労働運動は白紙主義」ということを言っています。「運動は白い紙だ、労働者は労働運動で白紙に一字一字、一枚一枚書き入れていくのだ」といっています。これは労働運動の精神なのです。
戦後の労働運動は、企業内組合に埋没して、人生を通しての運動というよりも、経済闘争に収斂されて、結局、同盟型運動の理念としての、パイを大きくして分け前を増やす、という物取り主義になりました。経営者は儲けた金のほとんどを設備投資に回してきた訳で、僕は馬の鼻先ににんじん、と言っているのですが、いつまで経っても食わせてもらえない。パイを大きくして分け前を増やすという論理は、パイが小さくなれば分け前が減るという論理なのです。パイがしぼんでくると、首になってもしょうがないという論理なのです。
大杉は、そういうことではなくて、運動の中から自分たちを解放していこうという、つまり解放は運動の先にあるのではなくて、運動の中にあるということを言ってきた訳です。それは、彼らのごく少数の仲間たちと切り開いてきた道だったのですね。
大杉は「僕は精神が好きだ」と言っていて、これは別に精神主義というのではなくて、まあ理想ということでもいいのですけれど、物、金ではない、ということです。言葉で言うと手堅く生きようということになるのかも知れません。とにかく「僕は精神が好きだ」という大杉の精神が、僕は好きです。
もうひとつ重要なのは大杉と軍隊の問題で、大杉は陸軍幼年学校に入り、父親は新潟県の新発田の連隊長で、親戚にも陸軍幹部とかえらい人がいっぱいいたものですから、彼のめざしていたのは陸軍大将、元帥になることでした。一二歳ぐらいで「幼年」 校と呼ぶのも、陸軍の価値観を表していますが、大杉は幼年学校の管理教育に耐えられなかったのです。もっと自由が欲しいという欲求が強かった。彼の内面の欲求と陸軍幼年学校の器とが合わなくて、幼年学校を放校処分になっています。
彼がなぜ殺されたのかということですが、僕の推理なのですが、陸軍幼年学校の仲間たちの怒りが強かったのだ、と思います。彼が一番最初に平民新聞に発表したのは「銃口を誰に向けるのか」というフランスの論文の翻訳です。ある反軍の思想です。それから、「新兵諸君に告ぐ」とか、軍隊内叛乱をアジるような論文を紹介します。ですから、陸軍元帥の卵から反軍のアジテーターになったという奇妙な回り合わせになったのですが、それで殺されたのではないか、と考えています。
大杉は関東大震災のときに殺されたのだけれど、この間石原慎太郎が発言していた「第三国人」という言葉がありましたが、彼のイメージの中には、一旦緩急があれば軍隊で反乱を抑える、という意識が強烈にあるのです。僕は軍隊の存在には反対で、それを否定しています。今の自衛隊を縮小し、解体し、災害救助隊だけでよいと考えるのです。
石原は、軍隊の権力を強めていきたい、それに閲兵式みたいな、号令をかけて悦に入りたいという子供じみた意向もあって、すぐに自衛隊の装甲車を送り出す。かなり異常な感覚だと思います。
とにかく災害があったときに軍隊を派遣するというのは、関東大震災の戒厳令下の時に起こったことで、軍隊が派遣され、朝鮮人の大量虐殺があり、亀戸で労働運動家たちの虐殺があった。そして大杉栄の虐殺があった。軍隊は人民を守らないというのは、沖縄でも現れ、満州でも現れた当然の論理である。軍隊は、人間とか住民とかを守らない。
それを石原慎太郎が出してきた。その時代背景、小林よしのりなどの排外主義の絶叫があります。こういう時に、大杉栄が身体をはって主張していた軍隊批判、反軍の問題、あるいはここから派生する軍隊解体の問題、こういうことの世論の拡大が、これからの重要な課題だと思います。
まるで負け惜しみ的な言辞に聞こえるかもしれませんが、このような時代にも、住民運動はひろがっています。七〇年代には公害闘争で運動がひろがりました。しかしあの当時の運動は総評・社会党ブロックという形で労働組合が中心であった。地区労・社会党の動きで運動があたかも高揚しているように見えましたが、動員して日比谷野音を埋める、そういう方式で、労組幹部が上にいて市民が下という位置付け、そういう構図だった。
それとちがう形で展開されてきたのが、吉川さん達がやってきたべ平連運動で、これは労働組合とか政党とかそういうブロックと関係なくて、自分たちが自前で作っていく、そういう運動だった。今の地域の住民運動もそういうような運動です。労働組合が網をかけて動けなくなっている中で、住民の自主自立運動という形になってきて、それが住民投票運動になっている。巻原発の住民投票の成功というのは、偉大な成功で、「自分たちの運命は自分たちで決める」ということを町の人たちが言っていました。
そういう住民運動の展開が、アナキズムの論理だというと強引すぎるかもしれませんが、組織に依存しないで、自分たちで運動をつくっていく、それも少数からはじめる、あるいは個にして立つとか、六〇年代後半の連帯をもとめて孤立を恐れず、でもいいのですが、とにかく自分たちでやっていこうという、そういう風な運動がいろんな地域で発生してきたし、それがいまの住民運動を支えていると思います。
たとえば吉野川の河口堰の運動がそうです。諫早は少し運動が遅れた。今なおムツゴロウが酸素欠乏に苦しんでいます。しかし、運動の勝利・敗北というのは、その時で見るのではなく、そのあとそれがどういう風に広がって行ったかで見るべきです。諫早の「ギロチン」落下のあと、中海の干拓が、島根の竹下が死んですぐに中止に決定しました。原発反対運動にもいろんな力を与えています。
個別に見ると自民党、公明党、保守党の与党のブロックに押されていてアップアップしているように見えますが、しかしこの間の加藤の醜態、森に代わるべき首相がいないという、そういう風に向こう側の危機がどんどんどんどん深化していることが良く分かると思います。
そういう意味で、二一世紀にもうじき入るのですけれど、「個にして立つ」という精神を、自分たちの運命は自分たちで決める、という自主の思想を、これからいろんな形で表現していきたいと思っています。どうもありがとうございました。