ココロ裁判・福岡地裁第12回弁論(1999.11.16)準備書面一九九六年(行ウ)第二二号戒告処分取消等請求事件 準備書面(十二) 原 告 稲田 純外一六名 被 告 北九州市外一一名 右当事者間における頭書事件につき、弁論を次のとおり準備する。 一九九九年一一月一五日 右原告 稲田 純 同 井上 友晃 同 梶川 珠姫こと 同 神谷 珠姫 同 石尾 勝彦 同 友延 博子 同 佐藤 光昭 同 牟田口 カオル 同 安岡 正彦 同 原田 敬二 同 導寺 孝暁 同 原 博一 同 油谷 芳弘 同 藤堂 均 同 山根 弘美 同 稲葉 とし子 同 田中 民平 同 北九州がっこうユニオン・うい 右代表者 書記長竹森 真紀 福岡地方裁判所第五民事部 御 中 目 次 第一、はじめに ー「法制化」以前の暴挙ー 第二、被告市教委の強い「指導」と学校長の職務命令との関連 一、学校長の「校務」と職務権限 二、学校長の職務権限を隠れみのとした被告市教委の強い「指導」 (1)一九八五年以前の原告らの動静と被告市教委の指導の状況 (2)一九八五年「徹底通知」以降、被告市教委の強い指導を表明する学校長 (3)被告市教委の「四点指導」の徹底 (4)学校長の異常なまでの現認体制と状況報告 (5)校長権限を無視した被告市教委の状況報告書 三、強制に消極的な学校長は今なお存在する 四、小結ーねじまげられた学校長の権限 第三、被告市教委による処分権の濫用 一、被告市教委主張の「違法行為は不起立」との齟齬 ー席を外しただけで戒告処分ー 二、現業職員処分の法的根拠の不存在 第四、処分手続きの不明・不当性 一、被告市教委は処分の適式性を立証すること 二、被告市教委は公正な「事実確認」をなしていない 第五、被告の釈明・立証を求める 第六、おわりに 第一、はじめに ー「法制化」以前の暴挙ー第一一回弁論(一九九九年九月一日)において、被告北九州市教育委員会(以下、市教委)は、今後の主張・立証についての裁判所の問いに対して、「私どもの主張はこれまで述べたとおりであり、原告らが本件処分理由となった行為につき起立しておったかなかったかの一点に絞られておる訳で、そこには双方争いのないところでありますから、これ以上の主張・立証は必要ないと考えています」との答弁をなした。本答弁の前提は、学校長による「国歌斉唱時には起立して心を込めて斉唱すること」との職務命令があたかも「絶対」のものであり、それに反して「着席」した教職員は違法行為として処分されて当然との開き直りに外ならず、そこには良心の傷みのかけらもない。 原告らの本件請求の趣旨並びに請求原因は、この学校長による職務命令そのものの違憲・違法を問うているものであり、これまでその違憲違法性をさまざまな側面から主張した上で、本件職務命令の元凶である「四点指導」の合理的必要的根拠を被告らへ再三問うてきた。にもかかわらず、被告市教委はこれまでの原告らの主張を一切無視した、愚弄とも言える答弁をなしたことは、訴訟進行上の最低限のルールにおいてさえ許されるものではない。 今夏の「国旗・国歌法」強行制定にともなう国会審議での文部大臣答弁においてさえ、「職務命令」「処分」といった強制を伴う行為については、下記のような慎重答弁がなされている。 「私は、教育というのは根本的に先生と児童生徒の信頼関係であり、またそれを生み出すのは先生方同士の信頼関係だと思っています。ですから、職務命令というのは最後のことでありまして、その前に、さまざまな努力ということでありまして、その前に、さまざまな努力ということはしていかなきゃならないと思っています」 (一九九九年八月六日 参議院国旗及び国歌に関する特別委員会文部大臣) 「教育の現場というのは信頼関係でございますので、とことんきちっと話し合いをされて、処分であるとかそういうものは本当に最終段階、万やむを得ないときというふうに考えております。このことは、国旗・国歌が法制化されたときも同じでございます」 (一九九九年八月六日 参議院国旗及び国歌に関する特別委員会文部大臣)(甲第七九号証) 今夏の情勢において、被告市教委は「ただ黙って座っているだけ」で減給一カ月という極めて重い処分を繰り返し強行した。が、それと同時に今年初めて「着席」し、厳重注意処分を受けた一人の教職員が生まれたことを忘れてはならない。(甲第八〇号証)このことが、一〇数年被告市教委が強行し続けてきた本件「職務命令」及び「懲戒処分」が、何ら「さまざまな努力」や「とことんの話し合い」の末になされたものでないことを、ここに刻む必要があるだろう。また、改めて「命令」や「処分」でもって人の心が動くはずもないこと、それこそが「教育」の場における「指導」という名の下になされた暴挙であることを、誰しもが認めざるを得ないのである。 第二、被告市教委の強い「指導」と学校長の「職務命令」との関連一、学校長の「校務」と職務権限被告市教委は、準備書面(二)の「三 本件職務命令の適法性(二)本件職務命令の適法性について」において、 「学校教育法第二八条、第四〇条は『校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する』と規定しているが、この規定は、校長が学校という組織体の長としての責任を有するとともに、学校管理者としての校務の決定権を有し、所属教職員に対して校務を分掌させ、その適切な運営を図るべく指導監督する権限を有することを定めたものである。また、同法同条にいう『校務』とは、学校運営に必要な施設等に対する物的管理、教職員等に関する人的管理及び学校の教育活動に対する運営上の管理につきこれを完遂するために必要とされる事務を広く含むものである。 これを本件についてみるに、被告校長らが、原告らの上司であることは明らかであり、また、入学式及び卒業式についても、これらが教育課程上の学校行事であり、その実施が『校務』に該当することに疑いはなく、以上により被告校長が原告らに対して、入学式及び卒業式の実施に関して職務命令を発しうる地位にあったことは明らかである」 と主張する。 しかしながら、「校務」とは「学校の運営に必要な校舎等の物的施設、教員等の人的要素及び教育の実施の三つの事項につきその任務を完遂するために要求される諸般の事務を指す」(東京地裁判決一九五七年八月二〇日)ものであり、入学式及び卒業式の実施そのものが「校務」に該当するかどうかについては事務的分掌的内容であれば「校務」と言えるとしても、式次第の内容が教育内容に関わるものであり「校務」とは言えないというのが、以下引用するように有力な学説として広く知られている。いわんや本件職務命令の内容である「国歌斉唱時に起立して歌うこと」という「指導」にかかわる内容が、学校長の権限に基づく「校務」でない事は、火を見るよりも明らかなことである。 以下、学校教育法二八条に係る解説を基本法コンメンタール「教育関係法」より引用する。(甲第八一号証) 「(1)校長の職務権限とその限界 本条三項は、校長の職務について『校務をつかさどり、所属職員を監督する』と定めている。そこで、本項の「校務」「監督」をいかに解するかが、教諭の職務権限(六項『教諭は、児童の教育をつかさどる』)とのかかわりで議論がある。 行政解釈は、校務は教諭のつかさどる教育を含む『学校の仕事全体』『学校教育の事業を遂行するため必要とするすべての仕事』を意味すると解したうえで、校長は職務上の上司として校務の管理権・分掌決定権を有し、教諭の教育活動に対する指揮命令をとおして『所属職員を監督』できるとしている。 これに対して、有力に支持されている学説は教育基本法一〇条一項、本条六項を根拠に教師の教育権の独立が認められるとし、校務は「各学校が『学校全体がなすべき』仕事(全校的学校業務。各教師の教育活動を含まない)」と解し、教師の教育活動や教育内容には校長の指揮監督や職務命令は及ばない、と解している(兼子仁・教育法新版四六一頁)。そして、教師の教育活動にかかわる教育課程編成の人的側面をなすクラス担任、教科担任、各種委員などの校務分掌の決定権は、学校教師集団が全体として生徒・父母に主体的に教育責任を果たしうるために、学校教師集団の自治に属すると解している。」 被告市教委自身、入学式及び卒業式を教育課程上の学校行事という教育内容と位置づけ、本件職務命令の根拠を学習指導要領のみに求めている。本件職務命令は教育内容にかかわる事柄であって、それを「強制−命令」すること自体、教育基本法をはじめとする戦後教育法制に違反するものであること、学習指導要領にはそれについての法的拘束力はなく指導の根拠とならないことは、原告ら準備書面(四)及び(六)において詳述してきた。 以上のことを踏まえたうえで、学校現場における職務命令とは何であるのか、教育の場になじむことのない実態を明らかにしていく。 二、学校長の職務権限を隠れみのとした被告市教委の強い「指導」 (1)一九八五年以前の原告らの動静と被告市教委の指導の状況 被告準備書面(一)「一 被告北九州市教育委員会及び各校長らによる国旗及び国歌の指導の状況」において、 「7 被告北九州市教育委員会が、学習指導要領の改正前から、国旗国歌の取り扱いについて、それが学習指導要領及び文部省通知等の趣旨に基づき、適切に取り扱われるよう各学校に対する指導等をおこない、それにより、入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施状況が改善されてきたこと、また、各校長が学習指導要領及び教育委員会の指導等の趣旨に基づき、卒業式及び入学式において国旗掲揚及び国歌斉唱を実施することを決定し、所属職員に対し、国歌斉唱時には起立して斉唱するよう職務命令を発してきたこと、さらに、校長の職務命令に違反して、国歌斉唱時に不起立であった者に対しては口頭及び文書により注意を行い、その者の行為を戒めてきたことは既に述べたとおりであるが、被告北九州市教育委員会は、先述の学習指導要領の改正に伴う文部省通達の趣旨に基づき、これを適切におこなうよう、各学校に対して一層の指導の徹底を図ってきた。 右指導により、昭和六三年卒業式及び平成元年度入学式において、国旗掲揚国歌斉唱を実施しなかった学校はなかった」と主張する。 「被告北九州市教育委員会が、学習指導要領の改正前から、国旗国歌の取り扱いについて、それが学習指導要領及び文部省通知等の趣旨に基づき、適切に取り扱われるよう各学校に対する指導等をおこない」と主張するが、一九八五年「徹底通知」以前の指導状況についても、被告市教委が主張するような事実はない。 被告市教委の主張する「適切に取り扱われるよう」行われた「各学校に対する指導」とは、卒業式・入学式における「日の丸」の掲揚及び「君が代」の実施についてであり、着席する教職員への指導は一切なかったものである。 原告準備書面(四)の「四 徹底通知をさらに徹底した被告市教委の指導の違法 1、徹底通知以前の卒業式・入学式の状況 2、徹底通知以前の原告らの動静」において主張したとおりであるが、原告らは、一九八五年以前も卒業式・入学式の「君が代」斉唱時、着席行為を続けていたものである。しかしながら、当時着席していた教職員に対する学校長の「指導」は何らなされておらず、着席行為を「無視」していたとも言え、何ら混乱もなく行われていたものである。 しかしながら、一九八五年の文部省「徹底通知」以降、被告市教委の「四点指導」が学校長の「指導」をねじ曲げ教育現場に混乱を引き起こしてきたものである。(甲第八八号証)すなわち、「各校長が学習指導要領及び教育委員会の指導等の趣旨に基づき、卒業式及び入学式において国旗掲揚及び国歌斉唱を実施することを決定し」ではなく「決定させられ」であり、「所属職員に対し、国歌斉唱時には起立して斉唱するよう職務命令を発してきたこと」ではなく、「職務命令を発するよう強い指導を受け拘束されていた」のである。 被告主張は、現場の実態・実情を隠蔽したご都合主義的な主張に外ならず、失当である。 (2)一九八五年「徹底通知」以降、被告市教委の強い「指導」を表明する学校長 原告ら準備書面(六)「第三 被告北九州市教育委員会の指導と言う名の強制−命令の違法」で主張してきたが、さらにこれに加え主張する。 一九八九年四月千代小学校入学式職員会議において、被告高橋校長は、原告稲田、原告田中をはじめ職員の「日の丸・君が代」実施に対する反対意見が続く中で、「とにかく、いろいろ考えもありましょうが、教育委員会の強い指導もありますし、このままさせていただきます。尚、公務員として斉唱の際は起立して歌ってください」と発言した。(甲第八二号証) 原告ら準備書面(四)で述べたように、被告高橋校長は人事委員会口頭審理の場においても、次のように証言している。 「北九州市教育委員会の指導がありましたので、だから、それはそのとおりすべきだとおもっていましたから…」「(北九州市教育委員会の指導は)拘束力があると思います」。(甲第八三号証) 一九九三年卒業式職員会議において、富野小学校松川弘昭校長は、「委員会から強い指導があっているから、職務命令を出して報告書を上げないと、私自身が処分される」と発言した。松川校長は原告佐藤の着席行為について状況報告書を上げた後、「教育委員会に三度も行って、処分が出ないよう嘆願した」と、原告佐藤及び白石教頭に告げた。 松川校長は、「佐藤先生の教育実践の高さや、昼夜問わず働いてくれる熱心さや、人格の素晴らしさを訴えれば分かってもらえると思っていた私が甘かった。話せば分かると思っていた。でも、委員会は立ったか、座ったかだけしか問題にしていない」と被告市教委の堅い姿勢を嘆いていた。これらのことは職員会議の中で、松川校長自身が認めている。 一九九四年四月二島小学校入学式職員会議において、原告友延がこれまでどおり「君が代」斉唱に反対の意思表示をした際、当時加来校長は「私は、校長になって初めて職務命令を出します。本当は出したくないけれど、教育委員会からの強い指導がなされているので、仕方がない」との前置きをして「起立して歌うように」と発言した。 (3)被告市教委の「四点指導」の徹底 一九八五年以前、富野小学校は「同和」教育の推進を基盤とした民主的学校経営が定着し、子どもを中心とした民主的な卒業式・入学式が定着し、「日の丸・君が代」の実施がなじまず反対の姿勢を維持していたが、一九八五年文部省の「徹底通知」以降、被告市教委による「四点指導」が強行されていった。(甲第八四号証) 一九八五年四月、原告佐藤が北九州市立富野小学校赴任した際には、「君が代」斉唱時に数人の教職員、子どもたちや保護者も約四分の一が着席していた。それが、一九八七年には、これまで同様着席していた四名の教職員に対して口頭の厳重注意処分が出され、処分理由には「住民の信頼を損なうもの」とされたが、今まで一度もそのことが問題になったことはなかった。 当時山崎校長は、「演台が入り口側にあるのはおかしい。ステージ側で式をしたい」と職員の反対を押し切って式場の形を変え、これまで卒業生が座っていたステージ側に演台を移し、一九八八年三月には、ステージ横に貼っていた「日の丸」を正面に貼るよう独断で変えた。高松校長は、一九八九年度卒業式において、これまでテープ伴奏で行っていた「君が代」を職員の反対を無視して教師のピアノ伴奏に変えた。一九九一年度卒業式において、大井校長は「とにかく私はステージの上で卒業証書を渡したい」の一点張りで、これまで積み上げてきたフロアー形式を否定して演台をステージに上げて卒業証書をわたすことを強行した。 原告安岡、原告原田、原告原、原告油谷、原告導寺が所属した松ケ江南小学校は、一九七〇年半ば以降長年にわたって教職員集団によって卒業式を子どもたちが主人公となるような創意工夫が積み重ねられ、 「日の丸」に対する礼をやめ、「一同、礼」がなくなる 子どもたちが作った大きな絵を飾るために「日の丸」がステージから横の時計の下へ移動し小さくなる。 全員前向きから、卒業生と在校生が向き合う形になる、などしてきた。(甲第八五号証) 一九八五年には、ステージ下で卒業証書を受けわたす完全な「フロアー形式」を追求するまでになったが、当時の校長が「国旗に尻をむけてはいけない」の一言をもって押し切り、横に移動した「日の丸」も正面に移動させ、子どもたちの絵の中に「日の丸」を掲げるという異例の事態となった。これに対する子どもたちの抗議に校長は「そんなにしたいならよその学校に転校してしなさい」とまで発言したが、子どもへのごり押しはできず、ステージ上の絵のみ引き継がれることとなった。 一九九一年卒業式、例年どおり子どもたちの絵をステージ正面に貼ったまま迎えたが、被告川原校長は卒業式当日の朝になって「式は校長の責任でするんだ」との一言をもって体育館ステージの子どもたちの作品である「絵」を巻き上げ、「日の丸」のみを掲げた。 原告原田の抗議に対して被告川原校長は、「卒業式にふさわしくない」「一年間職員の意見を聞いてきたがうまくいかないから自分のやりたいようにする」「式は校長の責任でする」と発言し、職員の声に一切耳を傾けない態度をとった。 原告安岡、原告原田、原告原、原告油谷は、これらの校長の言動に抗議して「君が代」斉唱時に着席し、原告原田と原告原は文書訓告処分、原告安岡は厳重注意処分、原告油谷は留任予定で異動対象年数でなかったにもかかわらず、その年強制配転された。(甲第八六号証) 一九九〇年三月卒業式当時千代小学校校長被告高橋は、前年度卒業式で多くの教職員からの反対で断念せざるを得なかった「仰げば尊し」を卒業の歌として導入すること、子どもたちの壁絵をはがすこと、五、六年生が対面する呼びかけを「日の丸」に尻を向けるという理由からやめさせる、ということを一方的に強行しようとした。この被告高橋校長の押し付けに対して、職員会議が勤務時間を超過して計五回も行われ、教職員の反対意見が続出した。 また、被告高橋校長の学校運営そのものにも怒りと不信を感じていた保護者有志は、「子どもたちを主体にした千代小学校のよき伝統を大切にした卒業式にしてほしい」という趣旨の要望書を学校に提出した。(甲第八七号証)この思いは、原告稲田、原告田中をはじめ多くの教職員の思いと一致していた。この要望書によって被告高橋校長は、一歩引かざるを得なくなり、五、六年生の対面式による呼びかけと子どもたちの壁絵は式場内に貼ることとなった。しかし、壁絵は会場内の後部へ移動し、「仰げば尊し」は強行された。 原告山根の勤務した大里南小学校においても同様、年々「四点指導」が徹底されていった。一九九二年卒業式前の職員会議で、卒業生を温かい雰囲気の中で送り出すことから、在校生の作品で壁面を飾る、花で会場を飾ることが決定された。式前日、菜の花でステージ上や通路を飾ることも職員間で提案された。ところが、当時金丸校長が「ステージの上に菜の花は似合わない」と言い張り、ステージの上には一切菜の花を飾らせずに、「日の丸」と演台と松の盆栽だけという殺風景な状況に至った。当時の金丸校長が、子どもたちへの職員の思いを踏みにじってまで、被告市教委の強い「指導」に従ったことは明らかである。 以上のように、教職員集団によって積み上げられてきた民主的運営に基づく卒業式・入学式に対して、被告市教委による学校長をしての有無を言わさぬ「四点指導」の徹底化がなされたのである。(甲第九〇号証) (4)学校長の異常なまでの現認体制と状況報告 「君が代」の起立・斉唱については、被告市教委からの強い「指導」と学校長自身の保身によって、異常とも言える「強制」行為を行った学校長も多い。 原告牟田口は、従前より「君が代」斉唱時に着席を続け、徹底通知以降の一九九一年までは着席に関して何ら指導も報告もなされなかった。ところが、一九九二年小倉北養護学校校長山本のもとで、高等部卒業式の際着席し、小学部卒業式のリハーサルのとき子どものトイレ介助のため席を外していたところ、小学部主任教諭が、その夜になって原告牟田口の自宅に電話で「本番ではその手は通用しない」と、当日は介助で席を外すことはできない趣旨の圧力をかけてきた。 一九九一年松ケ江南小学校入学式において、原告原田と原告原が校務分掌である記念品を配布する仕事をしていた。仕事が終了していなかったので式場には入らないつもりでいたところが、前卒業式において二人が着席していたことを熟知している当時高杉教頭が、式の開始時間を遅らせてまで両原告を呼びに来て、無理やり入場させた。二人は着席を余儀なくさせられ、この年文書訓告処分を受けた。 一九九三年三月一七日高須小学校卒業式において、原告友延は卒業生保護者の受付の校務分掌であった。職員入場の時間に来ていない保護者がおり、学年主任と相談の上、受付に残っていたところ、「加藤教頭が式場で探しているからすぐ入るように」と他の職員が呼びに来たため、受付の仕事をおいて式場に入った。原告友延の席は、職員席の一番前に一つ空けられていた。 「国歌斉唱、一同起立」の号令とともに加藤教頭が原告友延の側で、式場に響き渡る大声で「起立してください。これは、職務命令です」と二度繰り返した。その声が二階の放送室まで聞こえたというほどあまりにも大きかったため、児童も保護者も一斉に原告友延を注目した。また、加藤教頭はピアノ伴奏者に対して、原告友延への「指導」が終わるまで伴奏をしないように念を押していたものである。 一週間後の終業式の反省会の時、加藤教頭の「指導」が行き過ぎであったことについて職員から意見が出されたが、校長はそれを否定せず加藤教頭の行動は、学校長の指示に従ったことを明らかにした。 一九九四年四月熊西中学校被告佐藤校長は、原告梶川を赴任直後校長室に呼び、「君が代斉唱時に起立するように、起立しなければ処分がある」との恫喝をした上で、「私は今まで(校長になって)一度も職務命令を出したことはない。あなたが来なければ職務命令を出すことはなかった」と職務命令が自分の本意でないように嫌がらせをした。 そして、入学式当日、原告梶川は一年生担当であり式に参列し、「君が代」斉唱時にこれまでどおり着席した。その際、佐賀教頭は原告梶川が黙って座っている側で 「立ってください、職務命令です」と大きな声で通告した。 一九九四年三月一六日松ケ江南小学校卒業式において、当時卒業生担任であった原告安岡が、これまでどおり「君が代」斉唱時に着席した際、当時教頭是本はただ黙って座っている原告安岡に向かって大声で「立ってください」「校長の職務命令ですよ」「従わないんですか」と再三にわたって怒鳴った。原告安岡が「君が代」斉唱に反対の意志をもっていることは承知であり、事前においても掌握しているにもかかわらずである。 (5)校長権限を無視した被告市教委の状況報告書の強要 被告市教委は、答弁書の「その他の請求原因に対する答弁」において、 「被告北九州市教育委員会は、北九州市立学校のすべての校長から、入学式及び卒業式における各学校の職務命令違反者の状況について報告を受け、その報告に基づき、違反者の個々の態様並びにその者に対する過去の指導の状況を踏まえ、違反者の行為を厳しく戒めるために、懲戒処分をはじめとする措置並びに注意を行っているものであり、これについても、何ら違法性はない。」とする。 原告準備書面(八)「二 被告北九州市教育委員会による学校長への四点指導の徹底」において主張したとおり、被告市教委指導部主幹並びに学務部主幹によって校長会での「指導」がなされているものである。 「卒業式(入学式)における国旗・国歌の指導においては、指導部の意義を踏まえて、卒業式(入学式)が円滑に進むよう指導し、異常であると認めれば校長が職務命令であることをはっきり言い、異常事態の場合は速やかに教育委員会に報告すること」「式当日において、国歌斉唱の際、職務命令に違反して起立しなかった職員については、その氏名、時間、状況を現認し、状況報告書を作成の上、指導部、学務部へ速やかに提出すること」等の指導がなされている。 この指導は毎年卒業式・入学式前の校長会において、国旗・国歌の実施について(通知)及び実施状況報告書とともに提示されていることは、原告準備書面(八)で述べたとおりであるが、この通知及び実施状況報告がなされていること自身、全国でも異例なものである。また、文部省がなしている実施調査とも異なりそれを上回る調査となっている。これについて被告市教委は、文部省の調査とは別に行っているとの見解である。 さらに、卒業式・入学式終了後、即日、被告市教委指導部は学校長へ、「違法行為」があったかどうかの電話調査を行っている。その際、原告らを特定し個人名を名指しにして、「○○の状況はどうであったか」との調査をなしている事実がある。こういった「指導」そのものが、前記主張してきた学校長の職務権限への不当な介入に外ならず、不当・違法である。 学校長による状況報告書とは、本来、学校管理者としての責任を有する学校長の判断において、報告すべき違法行為の状況、事故などが発生した場合になされるものであり、被告市教委の恣意的な指示に基づくものであってはならないことは言うまでもない。名指しの調査については、明らかな差別取り扱いであり、違法不当といえる。 三、強制について消極的な学校長は今なお存在する 徹底通知以前、原告らの着席に対する学校長の指導が一切なかったことは既に述べたとおりであるが、それ以降も学校長を含む教職員集団による民主的学校運営が定着していた学校においては、「起立斉唱」が徹底されなかったケースもある。 大里南小学校は、従前より「同和」教育推進校であり、人権・平和教育などが教職員集団によって熱心に取り組まれていた。一九八八年原告山根の担任する学級には、エホバを信仰する二名のT君とHさんがいた。同年一学期の児童集会に「七夕集会」が提案され例年通り実施されようとしたところ、T君らから「宗教上の理由で集会には参加できない」と伝えられた。原告山根が学級でこれを提起したところ、T君らが四年間集会のたびに職員室で待っていたことを知った子どもたちは「集会は全校児童がみんな参加できるものにすべき」だとし、T君らも参加できる集会を実施するに至った。子どもたちは宗教のみならず、それぞれの違いは認めていくのは当然であるという雰囲気を感じ取っていた。(甲第九一、九二号証) 原告山根はこれらの子どもたちの卒業担任であり「君が代」斉唱時に着席したが、奥本校長自身はそのことを知りながら、こうした学校の状態の雰囲気を踏まえ、これを被告市教委へ報告しなかった。 前述した通り松ケ江南小学校は、教職員集団による民主的運営が定着した学校であり、原告原は福教組の主要な分会員でもあった。原告原が、一九九〇年四月入学式において着席したが、当時村上教頭は着席を現認したにもかかわらず、あえて「知らなかったので報告しない」とし、処分はなかった。 同様の理由で、原告牟田口は、寿山小学校において一九八六年以降一九九一年三月卒業式まで着席したが、校長による指導も報告もなく処分は出されなかった。また、小倉北養護学校においても、一九九一年入学式から一九九二年入学式まで着席を続けたが、同様に指導も報告もなく処分はなかった。 さらに、ここ数年来においても、原告らは従前通り起立斉唱を受け入れているわけではない。 そのような中で、一九九六年四月二島小学校入学式の前日、当時田尻校長は原告友延に対して、「あなたは、受付の仕事なので遅れて式場に入ってほしい。処分は出したくない」など、三〇分にわたって説得をした。 一九九八年四月入学式前、穴生中学校校長北原は、原告梶川が入学生担当であるにもかかわらず、以下のような要望をなした。 「入学式は入り口の外で遅れた保護者にドアを開けてください。歌が終わって着席のときに入ってください」さらに、入学式当日の朝北原校長は原告梶川を校長室に呼び、「今日は遅れて来た生徒の、面倒をみてくれるのですか」と言外に式に参加しないことを当然のこととして確認した。 一九九九年四月原告原田の勤務する白野江小学校入学式の職員会議において、校長中村は入学式式次第をはじめとした「君が代」斉唱に関する話を一切しなかった。ましてや職務命令といった発言はなかったものである。 徹底通知以降も一九九〇年頃までは、これらの校長のように、教職員への処分や教職員組合をはじめとする教職員との混乱を避け、これまでどおりの民主的な学校運営を維持したいとして、自らの判断で報告を上げなかった学校長らも多く存在していた。そして、現在でもなおこの事態は継続している。 四、小結 ーねじ曲げられた学校長の職務権限ー 以上の事実関係から明らかなように、一九八五年文部省「徹底通知」を受けた被」という名の職務命令が頻発された。(甲第八八、八九号証) 1、学校長は被告市教委の「指導」を拘束力のあるものと受け止めた結果、校長自身が「処分」されるとの認識に基づき自己保身的な職務命令を発した。 2、被告市教委は、従来のフロアー形式での卒業式、「日の丸」正面に掲げない、「君が代」テープ伴奏、壇上に花や子どもの作品を飾る、などの学校独自の取り組 みを、校長の職務権限であるとの奇弁で「四点指導」を押し付けてきた。 3、被告市教委が、学校長に対して着席した教職員を名指しで特定して報告を上げるようにとの指示をするなどの不当な介入をした結果、無理やり式場に入場させたり、現認−報告を余儀なくさせられ処分を強行してきたものである。 4、被告市教委は、原告らに対する職務命令は学校長の判断であり、職務権限に基づくものと強弁するが実際の教育現場においては、こうした市教委の意向にもかかわらず、「日の丸・君が代」の強制については必ずしも積極的なものばかりではなく、消極的な者も存在している。前述したように、被告市教委の「四点指導」とは裏腹に具体的争点をなくすために、式場に入らないように指導したり、マイクや受付などの係りでもって現実的な混乱を回避する学校長の存在も今なお多い。少なくとも「四点指導」という形の強制は各学校現場における各学校長の素直な判断権限に基づくものではないことの証しの一つと言えよう。 5、現在においても尚、原告らは従来どおりの「君が代」斉唱を起立して歌うことを認めず、卒・入学式には式場の外で、他の職務に専念するなどしている。 一九八五年以降、以上述べたように学校現場への混乱をもたらすのみで、被告市教委の「指導」は何ら定着することなく現在に至っている。 被告自ら主張する学校長の権限を本来的な意義において取り戻すことが緊要でありそのことはひいては教諭の権限を回復することとなり、教育基本法に定められた教育の中立性を守るものである。 第三、被告市教委の処分権の濫用一、被告市教委の主張「違法行為は不起立」との齟齬ー「席を外した」だけで戒告処分ー 原告井上は、一九九五年に「君が代」斉唱時に着席したことで戒告処分を受けていたため、同様に着席すればさらに処分を受けることになるため、それを回避したいとの思いが強かった。したがって、一九九六年四月九日入学式において、開式が終わり「君が代」斉唱が終了してから体育館に入った。校務分掌であるマイク調整についても終了した上で、体育館入り口の外で待機し、教務主任の進行を聞き「君が代」斉唱が終わるのを聞き届けてから静かに入場した。式場にいたほとんどの教職員は原告井上が遅れて入って来たことすら気づかなかった。その後式は、通常どおり行われ何ら問題になることはなかった。このことは、被告秋永校長自身認めている。 ところが、壇上で祝辞を述べていた被告秋永校長は原告井上が入場するのを目にしており、入学式が終わるとすぐに原告井上を校長室に呼びつけ、遅れて入ってきた訳を問いただした。 原告井上が「君が代強制に反対だから」と述べたところ、翌一〇日被告秋永校長は、これについての対応を被告市教委学務部扇谷主幹に相談した。被告市教委扇谷主幹は「状況報告書を上げるよう」指示し、被告秋永校長は状況報告書を作成し、被告市教委学務部に提出した。 原告井上は、式に参加すれば「君が代」斉唱を余儀なくされ、着席すれば当然処分があることを熟知したうえで、「席を外す」という判断をしたものである。この行為は、被告市教委が主張する「違法行為は不起立である」との齟齬があり、違法・不当である。 この秋永校長の異常な行動は、一九九六年四月平野小学校への赴任直後の第一回校長会会議において、被告市教委学務部主幹扇谷より「原告井上友晃の言動には注意しておくように」と指導を受けたこと、前平野小学校校長中西から、赴任に際しての事務引継ぎの電話で「井上が秋永校長を厳しく徹底的に追及するであろう」との話を聞いていたことによる推察される。 しかしながら卒業式・入学式に参列していない教職員は数多く存在しているのであり、被告市教委は式進行上何ら問題にならない「席を外す」行為を懲戒処分の対象とする合理的必要的根拠を早急に明らかにすべきである。 二、現業職員への処分の法的根拠の不在 1、被告市教委は「四点指導」や職務命令の根拠を学習指導要領に求めているが、 学習指導要領は現業職員の法的根拠とはなり得ない。現に「四点指導」におい ても、「教師は全員参列」とあり、現業職員は「四点指導」の埒外におかれて いる。このこと自身が現業職員であるという差別の問題は残るが、ここでは、 その点に関する論及は差し控える。 2、一九九五年清見小学校卒業式において、給食調理員であるK氏が「君が代」 斉唱時に着席していたことが後日問題となり、処分の動きがあるらしいという 情報を同校に勤務していた原告山根が入手した。 K氏は式当日原告山根の二〜三人離れた席にいたにもかかわらず、原告山根の着席は問題にならずK氏だけが問題にされるのか疑問に思い、K氏に状況を尋ねたところ、来賓として出席していた被告市教委桑薗指導主事がそれを現認し、報告したことが分かった。しかしながら、被告市教委の事情聴取に対して、当時の三輪校長が「給食調理員さんたちは職員会議に参加しておらず、自分が職務命令を出していない」と報告したため処分はないということであった。その上で、三輪校長はK氏に対して、「次回からは君が代が終わってから式場に入るか、式場にはもう入らないように」話したということであった。 事実、K氏はそれまでは初めから式に参加していたが、それ以後、式場に入ることができなくなったものである。 3、一九九七年四月入学式前日、緑丘中学校校長塩塚は原告藤堂を呼び、「昨日 (職員会議の中)お願いしていたようによろしく」、「前の学校では、(卒・ 入学式に)出ていたのか」との質問をなした。原告藤堂は質問の意味を不信に 思い、「他の人も参加するのに自分だけ言われるのは何か意図があるのか」と 問うたところ、「いえ、そういうふうに思われたのならすまない」と撤回し、 「昨日お願いしたようによろしく」を繰り返した。 学校長の認識として、教員以外の学校労働者が式に参加すること自体当然ではないとしている現状がある。にもかかわらず、原告藤堂に対してあえて「君が代」斉唱時に係る「お願い」をことさら行い、式に参列しないことを暗にすすめた言動は差別取り扱いである。 学校校務員であり「教諭」とは職種を異にする原告藤堂に対する本件職務命令は、学習指導要領の趣旨に基づくものとの被告主張からすれば、教育職にはあたらない「校務員」という技術吏員に対するその根拠は不合理といえる。 被告市教委の「四点指導」においても「教師は、全員参列のこと」とあり、学校労働者全般を対象としておらず、校務員をはじめとする他の職員は式への参列すら前提となっていないものである。原告藤堂に対する「君が代」斉唱指導の合理的根拠及び職務命令の法的根拠についてこれまで何ら主張されていないので、教諭以外の職員への「君が代」斉唱の職務命令の法的根拠を明らかにされたい。 第四、処分手続きの不明・不当性一、被告市教委は処分の適式性を立証すること埼玉県人事委員会(委員長新井修市)は、一九八九年(不)第一号事案(不服申立人細谷義昭)は、市教委から県教委への内申がなされていなかったことをもって、一九九六年一月一六日付で処分取り消しの裁決をなした。(甲第九三号証) その理由の趣旨は、「懲戒処分を行うに際しては、職員の身分保障の観点から、その厳格性が求められている」「処分者である県教委は、その内申に基づき処分権を行使するものであるから、懲戒処分にあたっての市町村教育委員会の内申については、厳格な一連の手続きが要請されている」「処分者が、本件内申について市教委での議決があったと主張する平成元年四月十九日に開催された市教委定例会の会議録には、本件内申に係る事項の記載は認められなかった」とする。 以上のような裁決事例があるように、処分の正当性判断のためには処分手続きの正当性・適式性が要件とされる。 原告らは、従前から再三本件処分の状況報告書の開示を求めてきたが、被告市教委は頑なにこの開示を拒んできた。本件における学校長の状況報告書は右裁決事例に見られる内申と同様の性格をもつものであり、校長の状況報告書が上げられることが処分手続きの要件となっていることは明らかである。 被告らが頑なに拒む理由としては、この学校長からの状況報告書の上申なしに処分を強行したことも考えられるのであり、そうであればこの処分が適式性を欠き違法であることは言うまでもない。よって被告市教委は、本件処分が適式になされたというのであれば、行政訴訟の挙証責任の分配からいって、状況報告書の存在の有無の明示及びその内容の開示をする責任がある。 本日申し立ての文書送付嘱託申立書に記載した通り、本件処分(厳重注意、文書訓告も含む)に係る学校長による状況報告書、事実確認に関する決裁文書、北九州市教育委員会会議議事録の開示を求めるものである。 これらの文書を開示した上で、万一、事実関係に相違がなくとも、これまで何ら文書の開示がない処分について、被告市教委の処分手続きに重大な瑕疵が認められる場合が思料される。 二、被告市教委は公正な「事実確認」をなしていない 被告北九州市教育委員会は準備書面(二)「四 被告北九州市教育委員会が行った懲戒処分等の適法性について」において、 「被告北九州市教育委員会は、原告らの職務命令違反行為について、被告校長らから状況報告書の提出を受け、これをもとに職務命令違反をおこなった者に対し、直接事実確認をおこない、弁明の機会を与えたうえで、慎重に検討した結果、本件と懲戒処分等をおこなったものであり、手続き的にも、実体的にも適法かつ妥当な処分である」と主張する。 被告市教委学務部によって、上記主張のとおり学校長の状況報告書に基づいた「事実確認」と言う名の人権侵害行為がなされている。 一九八九年最初の懲戒処分がなされたとき、原告稲田は被告市教委学務部主幹橋本から教育委員会に赴くよう呼び出しを受けたが、その後、現在に至っては、被告市教委は、卒業式(入学式)での状況を確認するとの目的で当事者の都合も聞かずに一方的に学校を訪れ、校長室において行われている。 この「事実確認」についての問題は、現在、原告らによる福岡県弁護士会人権擁護委員会への救済申し立てとして弁護士会で調査中でもある。その申し立てに基づいて、問題点を以下列挙する。(甲第九四号証) 1、当事者は、事実確認における第三者(弁護士など)としての立会人をつけることを認められず、状況報告書を上げた校長と処分庁である市教委職員に取り囲まれた一方的なものである。 2、当事者に対して、状況報告書を開示せずに事実確認を行っている。 3、事実確認での記録(事情聴取調書)を当事者に確認すらせず、記録自身が公的文書としては存在しないとの見解である。(ただし、北九州市教育委員会会議へ提出する決裁文書は存在するとしている) これらの問題点は、被告市教委の言う「言い分を聞く場」とは程遠い一方的なものであり、一方的に違法行為をなしたと決めつけ上で、「立ったか、座ったか」のみを確認した上で、原告らの「言い分」に対する不当な発言すらなされているのが現状である。 今年度の事実確認については、救済申立て及び原告らの要望書の趣旨を踏まえた結果、「事実確認」がなされないまま処分が強行されているものである。(甲第九五号証)したがって、事実確認の必要的、合理的根拠についても明らかにされたい。 第五、被告市教委の立証を求めるー一九八五年徹底通知時の被告市教委元教育長小野元之の証拠調べについてー 被告市教委は、原告らの再三の釈明にも応じず、「四点指導」についての合理的・必要的根拠をも未だ明らかにしていない。かつ、強制性の明らかな行政処分についての挙証責任における立証予定すら明示されていない。「四点指導」の徹底をねらいとした本件職務命令かつ本件処分は、全国的にも異例なものであることは、一五年経た現時点においても他に例がないことから被告市教委独自の指導である点は否めない。しかし、「四点指導」のなされた背景並びに経緯によれば、一九八五年の文部省「徹底通知」に拘束されていることは間違いない。 当時の教育長小野元之は、現在、文部省大臣官房長を務めており、今回の「国旗・国歌法」制定に係る通知「国旗及び国歌に関する法律について」(甲第九六号証)(文総審第一一三号平成一一年八月一三日)の発行責任者となっている。本文書は、各都道府県知事及び教育委員会をはじめとした教育関係機関へ宛てたものである。 「徹底通知」を出した当時文部次官高石邦男を筆頭に、被告市教委の教育長は、文部省よりの天下り官僚が歴任してきたことからも、その官僚らが今もなお文部省に存在していることにこそ、文部省ー国の強い意向を感じるものである。 よって原告らは、徹底通知を受けた「四点指導」を含む被告市教委による通知「公立小・中・高等学校における特別活動の実施状況に関する調査結果について」(乙第二号証)の発信責任者である当時の被告市教委教育長小野元之についての証拠調べを強く求めるものである。 第六、おわりに「国旗・国歌法」の強行採決から三カ月が過ぎた。この三カ月間において、各省庁の記者会見場への「日の丸」の持ち込み、文部省通知を受けての大学をはじめとする各教育機関での新たな「日の丸」掲揚の動きなど、「法制化」に乗じた「型」どおりの動きをはじめ、岐阜県知事による「国旗・国歌を尊敬できない人は、日本人国籍を返上してもらいたい」との恥知らずな発言がなされた。(甲第九七、九八号証)政府のねらいは、天皇在位一〇年をにらんだ天皇制と「日の丸・君が代」の結合だったのかもしれない。スポーツや音楽までも利用して、「国民」を一括りにしてしまうというものであろう。しかしながら、野中官房長官の閣議後最後の記者会見発言(一〇月五日)「もし、国旗国歌法が継続審議や、廃案になっていたら政治家を辞める決断をして、法案を提出した」との発言が象徴するように、この「国旗国歌法」というものが何をか進退覚悟で押し切るという危険な代物であることはだれの目にも明らかであった。 だからこそ、「法制化」後さまざまな形での「日の丸・君が代」ノーの声が全国各地で上がった。徳島県教育委員会柏木教育長は、教職員らの申し入れに対して「法制化後もこれまでと同様で、まず処分ありきの考えは毛頭ない。無理強い、強制の姿勢はかりとらない」さらに「教職員が斉唱時に起立しない、歌わないということでの処分はない」と明言している。(甲第一〇一号証) 本準備書面で展開したことは、学校現場の日常における学校長と原告ら教職員という人と人の関係性が、型どおりの「命令」や恫喝としての「処分」をちらつかされる中で、如何に歪められていったかである。国家=学校が、教職員一人一人の心を「日の丸・君が代」という「型」ではかり、括ることをを前面に押し出そうとすれば、そのひずみが深まることは一〇数年来の本件処分がはっきりと指し示してきた。そしてそれは、ひいては子どもたちの心を縛るものにほかならない。 新潟大学憲法学教授成嶋隆氏は、「内心の自由が原則である限り、強制に抵抗する側には説明責任はない」と言い切る。また、「自由を持てない教師のもとでは、子どもたちも自由ではあり得ない」とも。(甲第九九、一〇〇号証) 原告らは、「内心の自由」とは何かを明らかにすべく、またこれを確かなものとしていくためにも本裁判を継続していくものである。 |